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ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ

マカノヴィツキー(Vn)ノエル・リー(P)(meloclassic)1961/6/23南ドイツ放送live・CD

ヴァイオリンは生臭い楽器だ。音符どおりにいかないアナログな楽器である。新古典主義時代のストラヴィンスキーはヴァイオリンの「非機能性」を逆手に取り、ヴァイオリン協奏曲のような特別な作品を作り上げた。弦楽四重奏用小品についてはそれより非音楽的ではあるが旋律と創意を極めて短い三つの楽章に凝縮した、少し違う魅力を保った「アンサンブル」で、ウェーベルンあたりの簡潔で理知的な志向に近いものがある(ストラヴィンスキーは古風な旋律要素など感覚的なものも組み入れてくるが)。イタリア古典音楽の要素も踏まえ、さらに別種の「完全に器械的な音楽」に仕立てようとしたのがこの作品だが、机上論的な発想であり、そういった意図を「実際に発せられる音」で伝えるのはなかなか面倒。興味の結果としての小品を寄せ集めたような面もあり、演奏家が譜面どおりに捉えず研究し、器械を器械にとどまらない「聴かせる組曲」にすることが必要である。いや、ストラヴィンスキーはそれを意図していないが、そうすべきである。この演奏はじつに達者で不足のない技量と色の無い音によりライヴとは思えない結果を提示している。ノエル・リーに沿うように明晰な演奏で、フランス的な品もある。

つまり解釈的ではない。ストラヴィンスキーの魅力としての旋律要素がしっかり認識できるのはエグローグⅠ(二曲目)などの一部で、まさにストラヴィンスキーの意図どおりというか、何をやっているのか最後までさっぱりわからない、ピアノのミニマルというかオスティナートリズムというか単調で簡素な律動が目立つものの楽章毎分節毎に変化していき、それだけとも言い難い、二本の楽器による実験工作を聴かされた感がするのだ。演奏は素晴らしい、このコンビらしいもので、直後のトラックであるブラームスが生臭くなくじつに美しいのびのびと、ヴィヴラートをきかせた演奏なだけに、あまりに楽曲の魅力の無さ、適性の無さが際立ってしまう。よくまあちゃんと聴かせている、という録音もある中、むしろ「ちゃんと聴かせる」のは意図から外れた邪道なのだ、と割り切ってスコア片手に聴くのにはよいかもしれない。
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