シェーンベルク:セレナード

ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団(col legno)1958ドナウエッシンゲン音楽祭・CD

意気軒高のシェーンベルクの才能を実感できる。ストラヴィンスキーふうに最小限に整理された音要素のどこにも怠惰な様子はなく常に音楽が変化し音色が変化しそこに同じ景色は二度とつながらない。それでいて「個性」をしっかり印象付けることのできる小品集だ。ギターの孤独なひびきは月に憑かれたピエロを思わせる。ペトラルカのソネット(4楽章)で官能的な表現ののち突如バリトンが中世歌を歌いだすのは弦楽四重奏曲第二番で無調宣言とともにソプラノ独唱を加えたことを思い出させる(ここでは十二音技法が試みられた)、この人独特の感性によるものだろう。ハイドンのような眠りを許さない。また多くの部分にマンドリンが導入されメヌエット(2楽章)などでは諧謔的な風味を加えるとともに、「小夜曲」であるからこそマーラーの「夜の歌Ⅱ」の世俗的用法をも意識しているかもしれないと思った。シェーンベルクはヴァイマールのひととき世俗音楽にも手を染めているだけあり音楽は高尚なだけではなく人心に寄り添うことも必要だと感じたのか(私にとっては心の乱れ狂った時に寄り添ってくれる作曲家なのだが)、「何らかの」主義主張を抽象化しておさめたのだろう。バスクラやヴァイオリンといった楽器にくわえそういうものを使うことでとにかく耳に新しく聴こえる音楽になった。冷えた抒情は慣れてくればちゃんと音楽として聴ける。音列技法というのはわかってしまえばそういうものとして聴ける(これは頭の切り替えであり混乱ではない)、厳格なまでのセオリーに基づくものであるからこそ意味がある。それだけを使うのも20世紀的には袋小路だったが。ここまでこんなに思い入れない曲について書いているのはロスバウトのせいである。ものすごく見通し良くきわめて緊密なアンサンブル、さらに音の太さ大きさにも厳しく指示を与えたかのようなバランスよさ。モノラルだが面目躍如とはこのことである。同曲は新ウィーン楽派と浅からぬ仲のクラスナーでたしか二種、現役はミトロプーロス指揮のもの(おそらくミトロプーロスがシェフでクラスナーがコンサートマスターであったミネアポリス交響楽団のメンバーによるアンサンブルか)だけ持っていたかと思う。
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