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ディーリアス:シナラ

ジョン・シャーリー=カーク(Br)グローヴス指揮王立リヴァプール・フィル管弦楽団(EMI)1969版・CD

10分の短い歌曲なので埋め合わせに使われることが多く、これともう一つトマス・ハンプソンがフェンビーと組んだものが唯の2つの録音として長らく、いろいろな曲と詰め合わせられてきた。現役だと思うが今はWarnerが超廉価盤に押し込んでいるだろうか。フェンビーのディーリアスは網羅していた筈だがunicornのディーリアスシリーズが手元に何故か揃わず、どこかへいってしまったので聴き比べができない。ディーリアス最盛期の作品ではあるが、ただ「日没の歌」から外され放置されていたものを最晩年になってフェンビーらの発見・助力により完成させられた。内容はダウスンの頽廃的で官能の香り漂う詩文に依り、これは専門のサイトでも見て読んでいただけると良い。ディーリアスは退嬰的な作曲家ではない。世紀末を体現する「官能的な」作曲家であり、「頽廃的な」作曲家であり、リヒャルト・シュトラウスらと同じ空気を吸い、グリーグからアメリカ南部の農場歌からドビュッシーの造る様々な色彩を貪欲に吸収して絵画的文学的背景に投影し結実させていった。歌詞を取り入れた作品と純器楽作品で印象が異なるのは音楽そのものというより、具体的な内容の影響がある。この作品を彩る音はもうディーリアス好きならどこかで聴いたことのあるような代物に過ぎない。遠目に見ればほとんど同じようなものである。最初と最後の静かなムードは、前者は同時期の、後者は晩年の作品に全く同じものを見いだせよう。中間部にかんしていえばドラマティックで、これは最盛期の歌劇作品にみられるものに近い。よく書き込まれてはいるが、やはり聴いたことがある。では、これは取るに足らないものなのか。

歌詞がある。シナラは遊女であり、これは若き者の恋慕の詩である。デカダンの臭い濃厚な、自分勝手な情熱の、生命力を生のママ抉り取ってみせたような印象が個人的にはある。ディーリアスは同時代者として、おそらく同じようなものを見て、同じような放蕩に溺れ、それを思い出してはこれを書く気になったのだろう。その内容があって初めて楽曲は他の器楽作品とは違う個性を確立できた。カークはうまく感情の起伏を過度にならずに歌い、歌詞の示すものを鞣すのでも過激化するのでもなく、グローヴス卿の冷静なオケに載って表現している。これこそディーリアスなのだというものを僅かな時間で実体験できる作品である。
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