ラヴェル:マダガスカル島民の歌

グレイ(Msp)作曲家?(P・指揮)モイーズ(fl)クルクー?(Vc)(polydor/PHILIPS/cascavelle他)1932/6パリ(1928?)・CD

数々復刻されてきたが、cascavelleが三集にわたって大成したラヴェル集およびマドレーヌ・グレイ集としてCD一枚にまとめた音源の記載データでは従来と異なる記載があり、録音年およびメンバーはそちらに従った。グレイ夫人の伴奏として自作自演していると言われていた「ヘブライの歌」とこの曲は、いずれも示唆だけで弾いていない(ラヴェルが自作自演したものはピアノロールだけしかない)可能性が強いとのこと。ラヴェル屈指の名作であり、ドビュッシー来のサロン風室内楽から前衛の野蛮主義や無調まで、取り入れたというのではなく手法として活用し、三曲、短いながら各々対照的な音楽となっている。編成(歌唱、フルート、チェロ)を指定しての米国婦人からの委属~それ以外は自由とされた~にもとづき、マダガスカル島1世紀前のクレオール詩人の文明批判的テクストを読み込み、オリエンタリズムではなく、植民地の原住民目線からの歌として取り込んで、民族音楽は適用しなかったが歌詞と新しい響きが、却って鋭く直截な印象をもたらし物議を醸した。「ナアンドーヴ」はもっともドビュッシー来のフランス室内楽の雰囲気に近く耳馴染みは良い。恋愛の歌である。この演奏ではチェロが冒頭よりヴァイオリンのような音色(時代柄揺れがあり木管のようにもきこえる)で下降音形を繰り返したあと、ピアノ、フルート(この録音状態では残念ながら余り識別できないので取り合わせの妙は新しい録音をどうぞ)とともに典雅な響きを、時折土俗的な、ルーセルを思わせる進行をまじえて展開し、チェロの下降音形ととつとつとしたピアノで終わる。グレイ婦人は最初から力強く正確にしっかり歌い(歌曲は伴奏に対して大きく刻まれた時代なので過度にそう聴こえるのかもしれない)、同曲にてよく言われる官能性は届いてこない。この曲の要といえる「アウア!」は掛け声である(これを珍題と揶揄した無知な作家に怒りを覚えたことがある、テクストも曲も識らない者が作家を名乗って書籍を書いているのが日本の音楽出版界だ)。不協和音と叫びによって白人の侵略を糾弾するもので、同時代前衛的態度に立ったウィーンの晦渋な音楽に近いものの、とても簡潔だ。この曲は怒りにみち、次の「休息」までも暗い雰囲気を引きずっている。ストラヴィンスキーふうの索敵的な攻撃性すら感じる。グレイ婦人はやや冒頭の叫びが甘い気もするが、後半の畳み掛けは感情をぶつけるような表現が見事だ。伴奏もはげしい。ラヴェルのピアノは冷徹に音響的リズムを刻み、フルートの、ストラヴィンスキーよりさらに非西欧的なフレーズと、チェロの暗闇をはらむ通奏低音がバラバラに、後期ラヴェルの室内楽に通じる「ぎりぎり」の衝突的アンサンブルを緊密に提示している。「休息」の伴奏の暗さ、非西欧的なもの、非旋律的なものを含む不可思議な音形が散発的に現れるさまは歌唱の明らかさと対比的だ。ゆったりとした夕暮れの風景が、前曲の侵略者との闘争から、つかの間にすぎない平和を得られたことを示しているような感じがする。ここで弟子RVW「ウェンロック」の最後も思い出すのだが、少し変化して消え入るように終わるのもいい。この録音は特別に残されただけある。ラヴェルがピアノを録音した記録もロール以外無いので、その指の「強さ」を感じ取れるのも貴重。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

岡林リョウ

Author:岡林リョウ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
カテゴリ
TAG

ストコフスキ 四重奏団 フィテルベルク ミュンシュ トスカニーニ コンドラシン バルビローリ 作曲家 モントゥ アンセルメ 作曲家演奏 ブール エネスコ ガウク ミトロプーロス ロスバウト サージェント オイストラフ フランセ ワイエンベルク ORTF アンゲルブレシュト サモスード デゾルミエール イワーノフ ゴロワノフ ムラヴィンスキー ピエロ・コッポラ モイセイヴィチ ベーム セル クーベリック カルミレッリ シュヒター バーンスタイン ビーチャム パシャーエフ ツィピーヌ アルベール・ヴォルフ パレー ウォレンスタイン アラール オーマンディ サモンズ 山田一雄 ロストロポーヴィチ シェルヘン モートン・グールド ギレー モイーズ 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード