リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲

フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(grammophon/m&a)1924?・CD

ヴァインガルトナーのベルリオーズが限界だろう、この時代に近現代の大曲録音は無謀。マーラーの復活の録音は奇跡的な方で、これは正直弦楽器(の録音)がひどく、リヒャルト・シュトラウスだから派手なブラス(それも録音的に高音が駄目なので中低音域)だけで何とかもたせられる場面は多いものの、音楽として楽しむにはなかなかにきつい。たとえばフレージングの工夫の痕跡は聴こえるが音としては化石化しているから、脳内クリーニングが必要。繰り返すがこの大編成で長時間の(長ったらしい)曲を大正時代に録音しようとしたのは無謀なのである。録音用に編成を絞ったとしても、エルガーくらいの周到さで、せめて電気録音になってからやったらよかったのに、と、ホルスト自作自演の惑星の録音(旧録だったか大編成に苦労し録音場所にも苦労してバルコニーから吹かせたり色々やったとか)の貧相さも思い出した。分厚さや音楽的な動きを求めない音響的表現では、マーラーの時代の作曲家の前衛性が引き立ち耳を惹く。カウベルなど、やっとアルプスに来た感じがするし、この時代の中欧の作曲家はよく登山をしたが、ブルックナーを思わせる霧のような低いトレモロも雰囲気がある。この楽団もよくわからないところがあり、奇矯なポルタメントで素晴らしい表現を見せつけたストラヴィンスキーの火の鳥に比べて、この曲の安定した用法に基づく古典的なポルタメントが下手なのはよくわからない。編成を大きくしすぎて朝顔前のバランスが崩れたのか。デロデロにやらない、時代のわりに即物的な指揮者なので、ほんと特徴も上げづらい。そつないというのも違うし、無難というか、当時としては先端的な音楽に取り組んでいたから変な工夫もしなかったこともあるだろうが、弱音に法悦的な魅力はあるものの、それが聴き取れるのもよっぽど耳がおかしくなってる(敏感になってる)のだろう。基本的に粘らないからリヒャルト・シュトラウスの原点たるワグナーぽさは全くないのだ。落雷描写あたりは太鼓とブラスが起伏を作るので、チョコマカ逃げ惑う弦楽器はちゃんと聴こえなくともそういう情けない物として認識できる。立体的と言えば立体的。牧歌的な世界に戻りオルガンの響きは懐かしくて良い。太い音が録音に向いているのだろう。しかしまあ、音量変化のない(捉えられていない)この曲は、もう、のんべんだらりとしているなあ。それにしても、リヒャルト・シュトラウスお得意のヴァイオリンの超高音ときたら、メロメロにも程があり、泣きたくなる。二本くらいしかいないんじゃないか。当時の今と確実に違う演奏様式すら、どうなのかわからないほどの音。オスカー・フリートは現代的だったから、わからないのが正しいのかもしれないが。
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