フランツ・シュミット:交響曲第2番

ビシュコフ指揮VPO(DIRIGENT)2015/09/20ウィーンlive

きわめてウィーン的と言えるフランツ・シュミットに近年よく取り組んでいるビシュコフだが、そのウィーンの頂点のオケとの記録としてどうなのか。ビシュコフはかつてのイメージを覆しマーラーなど円熟した演奏ぶりを聴かせている。ただ、これは最近の同オケの変質というより恐らく録音の問題なのだろうが、肝心の弦が俊敏な一方で金属質で固い音を出し、生温いのが魅力のフランツの音楽を冷やして固めてしまっている(薄いノイズも耳に悪い)。テンポ取りなど聴くと確かにウィーン情緒を醸そうとしているのだが東欧や北欧オケのようで、ビシュコフ自身もそれほど旋律の魅力や楽想の変化を煽る表現をとらないので、頭からドライな印象があり、足をすくわれる。フランツはブルックナーの構築性、厚い響きとシューベルトの歌謡性、ブラームスの理知性を融合発展させたような作曲家だが(そのため結局マーラーみたいな管弦楽が出来上がる)、この曲の一楽章はほぼリヒャルト・シュトラウスである。この演奏はそれからすると寧ろ的確というか、リヒャルト・シュトラウスの指揮ぶりをも想起させ、純粋にやや複雑な音、楽器の交錯を捌き分けていくことで、一見旋律命のようなフランツのマニアックに造り込む側面、すなわち曲の本質的な魅力に気付かされる。新しい録音なので派手さも伝わる。変奏曲はそれぞれの描き分けが明確だ。ロシア国民楽派のような安直な音楽、教会音楽を思わせるブルックナー的な音楽、ワグナーを模した英雄的表現、それらの中での旋律の変容ぶり、通奏的なものを含む複数の主題の絡みを含め、フィナーレに向けての有機的な構成はフランツのなかなか技師なところに気づかせて、それをしっかりわかる形で伝えているビシュコフにも高度な技師ぶりを感じることができる。一方で即物的で耽溺できない部分もあり、ネックとなる。この曲など長大な変奏曲を聴き通させるためのプラスアルファが必要なところで、とくに最後の方になると意思的にコントロールして変化をつけなければただの交響的大蛇となる。いつ終わるんだ?これで終わったのか?と思わせてしまった、終演後の戸惑い気味の拍手はまさに、フィナーレの持っていきかたを失敗したのだ。ずっと同じような動きを大声で吹かせ弾かせ続けるだけで何分ももたせるのは辛い。これは表層的な感が残るのは仕方ない。
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