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アイヴズ:祝日交響曲

ティルソン・トーマス指揮サン・フランシスコ交響楽団、合唱団(SFS)2007/11,12・CD/DVD(BD)

音だけでも聴けるがサンフランシスコ交響楽団自主制作映像シリーズ「KEEPING SCORE」の一巻として解説付きで作成された無観客演奏映像。MTTは既にCBSsonyの交響曲全集でアイヴズ再評価を問うているが、その中でも白眉の演奏だった同曲をしっかり解説しているところがまずは見どころ。「解説なしでは理解できない代物なのが理解できる」。演奏も鋭敏でかつてACOとやったものよりこちらを好む人もいると思う。

(以下twitter2009/2分よりまとめ)

アメリカを呼び覚ましアメリカを予言した独立主義者アイヴズ、祝日交響曲はストコやバーンスタインではなくティルソン・トーマス。RCOの名演から幾年月、サンフランシスコSとのDVD/CD。真芯をとらえたレクチャーはアイヴズと合衆国文化を解すに絶好。ノイズで手を抜くな。池を飛び越えろ。

Ⅱ.デコレーション・デイはアイヴズが繰り返し描いてるサウンドスケープ、異国人には理解できない、レクイエムからの、ブラスバンド、天国に陽気に送り出す。ブラスバンドは元々ロシアのものだったと思うんだけど、アメリカの象徴だ。

Ⅲ.独立記念日。この曲はティルソン・トーマスにしかできないものがある。さすがの奏者も苦笑する激しい祭りのカオス。20世紀初頭にクラスター奏法まで。しかしリズムや旋律のパッチワーク法に何かしらの統一感がある所を、しっかり捉える。ストラヴィンスキーにきこえる。アイヴズが祝日交響曲の中でポリリズムを多用していたのを当時話題沸騰のハルサイの影響ですよねと指摘された時、自分は春祭を聴く前に作曲していたと答えたが、(巧いかどうかは別として)既にポリリズムを始めとする前衛要素を取り入れた作品を書いていたのは事実。

オルガニスト作曲家ならではというか、オルガンで弾くとほとんどEL&P。前衛のモダンではないけど、明らかに時代を越えている。理念はドビュッシー的、表現はバルトーク的、しかしどちらとも違う誇大妄想の極致、それがアイヴズ。それがアメリカ。

ワグナー:ニュールンベルグのマイスタージンガー~一幕への前奏曲

シリングス指揮シュターツカペレ・ベルリン(Brunswick/Hindenburg)1927ベルリン

稀少盤ないし高額盤SPの周到な復刻で知られるCD-Rレーベルによる、シリングスの同曲二組目の録音でイギリスプレス。心なしか音は良い。明晰でいっそう軽量級に聞こえてしまうがつまりSPの情報量の少ない音をノイズの中より最大限に引き出しているのである。解釈は別記したシリングスのものと同じだが幾分テンポはまともに整えられているように聴こえる。曲の流れを重視し起伏も弛緩のないテンポに盛り込んで、しかしそれは縦を揃えたりインテンポに終始するトスカニーニらのような当時一般的な方法ではなく独特の柔軟さをもっている。これがフルトヴェングラーの唯一無比と思われた芸風の源流のひとつとなっている。朝には似つかわしい清々しい名歌手前奏。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団他(WEITBLICK)2006/3/4live・CD

夜明けのしばらく柔らかい音だと思ったら合唱付きで録音都合の音の遠さということらしい。組曲での合唱付きは珍しい。陶酔的な表現、止揚するテンポにのって合唱が雰囲気を高め、音の少ない部分ではなかなかリリカルなラヴェルらしい音を出させる正攻法のところもあり、それは一つにはRIASを源とするこのドイツオケが元来得意とする低い音域へのこだわりを放棄させ、醒めたくらいの音の上、フルートなど木管にとことん明るく歌わせるところ、さらにプレートルらしくもなくと言っては失礼だがまさにフランス伝統の同曲の演奏、ミュンシュふうに意思的でももっと香り立つ美麗な表現で突き通している、とくに二楽章はオールドスタイルと言えるくらいに夢幻性を煽りまくってくる。頭の揃わないような野暮ったい合奏のトゥッティはともかく三楽章突入すると気を煽るスタイルに切り替えていく(ドイツオケらしく縦を強く意識して前進的ではないが)。ちょっとオケのバランスが悪いというか木管と弦が遠く感じるところもあるものの、太鼓が近く派手に響いて、卑びた雰囲気の、プレートルらしい雑味を孕む独特の縦ノリオケに合唱が大きな幕のように被さってきて、変に空疎な変に盛り上がる、フィナーレ感の薄い独特の破裂でブラヴォが散発。いや、合唱付きなのでそれだけで価値はあります。

ラヴェル:ボレロ

プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(WEITBLICK)2001/10/15live・CD

音を短く切ってリズムを強調すると思いきや旋律各部後半の長い音符をほんとにポリリズム的に引き伸ばし、旋律の合間の休符で辻褄を合わせるという南欧の指揮者がやりそうな(音は全く南欧的ではないが)独特の、いつ時代なんだというトンデモ演奏(トンデモという汎用語は使いたくないのだが)。ほんとに聴けばトンデモとしか言いようのない旋律表現、それを合奏部分まで八割方(十割ではない!)徹底しているからソロ楽器の洒落た歌い回しのためにやったとかいう範疇ではない。クレッシェンドもなんだかいびつで大きな松葉がきちんとした右開きの三角直線で構成されていない、これは録音のせいか?ブラヴォが出るのはライヴでなければあり得ない、その場の空気を呑み込んだ表現だったからだろう。冷静に音盤で聴くと(同時期の映像もあったのではないか)プレートルの悪いところが出ている個性的演奏。

ディーリアス:春一番のかっこうを聞きながら

ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(columbia/somm) 1927/12/19・CD

作曲家存命中の演奏であり、20年代はまだホールに臨席していた記録があるから聴いていた可能性がある。しかし時代が時代。もともと旋律的ではあるのだが明瞭に描きすぎて、林に残るかっこうの声とのコントラストが際立たない。耳優しくもはっきりとした鳥の歌を、厚い和音で埋め尽くすディーリアス全盛期の作品、ビーチャムの芸風は一貫して速くしっかり、だが情緒の必要な部分は慈しむようなフレージングで作曲家以上に曲を知り尽くした様、だが録音がこうなので参考に、というくらいか。オケはさすがのロイヤル・フィルではあるが音色の明るく輝かしいところは聴き取れず他のオケと技術面以外のメリットは無いように聴こえる。そっとやってくる春を味わうには晩年の優秀な録音を取るべきだろう。

ウォルトン:チェロ協奏曲

○トゥルトゥリエ(Vc)ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団(EMI/warner)CD

ウォルトンのチェロコンというとおもむろの闇、憂愁の旋律に思索的な響きを交えながら複雑な運動を続けるソリストといったヴィオラ協奏曲よりも暗くわかりにくい曲で、高度な技巧に裏付けされた力強さと意志的な解釈表現が必要とされると思っていると、こういう調和のとれた緻密な演奏が出てきてびっくりしたものだ。トゥルトゥリエというソリストは私にとっては未知の領域であまり印象にも残らなかったが、ここではピアティゴルスキのような長所と短所の入り混じった様相は示さない。ベルグルンドがシベリウスの影響いイギリス音楽をもう少し記録に残しておいてほしかったと思うほどに、和声と構造によく理解を示し意外とテクニシャンな楽団を相手にソリストとの融合をはかり、音色的な統一感や大きなスケールにおける緩やかな流れはウォルトンが本来書いていた楽曲の本質(自作自演では指揮の硬さからオケのやりにくさが伝わる)、その聞き方というものもわからしめる良演となっている。これを聴くとウォルトンの一応4つある協奏曲でヴィオラは別格として、長ったらしく同時代音楽を剽窃し技巧に走ったヴァイオリンや、それらとは毛色の違う生硬なピアノよりすぐれた作品として認識できる。悠々自適というかもう代表作は作ったし依頼されれば報酬と気分次第で地中海から派手な曲を送るみたいな作曲的晩年の気配はない。最初に聞くのに向いている。

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1955/10/23・LP

これは比較的技術に劣る弦楽器だけで演奏されたために、チャイコフスキーのしばしばやる、細かな動きの無理のある合奏で思いっきりゴチャっとしてしまったりする。しかし全体の表現はしっかりしており、音には雑味が混ざったとしても、おおむね楽しめる。

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」組曲

フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1956/7/15・LP

無骨で上手いとは言えないオケだが編成(スコア)を分厚くいじっているようで、録音も近く聴き応えがある。音楽そのものの、メロディそのものの魅力に取り憑かれたような演奏ではなく、バレエ音楽らしいしっかりしたリズム取りで実直に、だが派手にやるところは結構やって、ドイツ的な演奏に仕上げている。雑味はあるが聴きやすく、弦楽器は低音から力強く、ソロ楽器はわりと上手く表現している。日本では廉価盤でステレオだったとのこと。

ランドウスキ:交響曲第1番「恐怖のジャン」

プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/EMI/warner)1988/10・CD

長らくこれしか音源が無かったしほとんど絶えず再発され続けている(手元には三枚ある)のには、これが曲にとって必要十分な演奏で優秀録音として認められている証でもあろう。オネゲルの構造性を引き継ぎデュティユらと歩調を合わせた「同時代人に寄り添う現代音楽」を目し、前衛には揶揄されるも今の耳からするとこの曲などデュティユー以上にランドスキという作曲家の個性(先鋭さ)と聴きやすさを融合させた巧みさ、フランス臭さを昇華して汎世界的に通用する大交響曲に仕立てる手腕、それを攻撃的な姿勢で集中力高く仕立てたプレートルの功績含めて評価されて然るべきものである。一楽章の本編と別にポリリズム的に通奏される高音のとつとつとした響きや刻みだけでも掴まれる。サスペンスドラマのようだがサスペンスドラマ音楽のほうが真似たのであろう。プレートルの程良い面が出ているのでおすすめ。

ヒンデミット:気高き幻想組曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1959/01/23live・CD

時代を考えれば良好なステレオ。モントゥーの定番と言っていいレパートリーで聴衆も慣れたような普通の反応だが、演奏はビビッドに捉えられ迫力がある。求心力を失うとヒンデミットは駄目、モントゥーは拡散的な演奏は決して行わない(録音初期から同じ)。ヒンデミットの構造をきっちり読み解いてきっちり演奏させる。このタイプの常套的で平易な曲ではヒンデミットは外さないので普通に聴いて、その独特の目の詰まった新古典主義っぷりを楽しめます。

ホルスト:惑星

ボールト指揮ニュー・フィル(EMI/warner)1966・CD

サージェントとともに作曲家同時代人として指揮し続け、録音数では恐らく今もって史上最多であろうオーソリティ、ボールトの、晩年優秀録音でこちらと70年代とどちらのスタジオ録音をとるかは人によるだろうが解釈は同じ。最近書くようになってしまった演奏瑕疵についてこの板では一箇所あるように聴こえるが、演奏としてはオケが録音オケとして長けた(実演でもロンドン・フィルより上とみなされていたようだが)フィルハーモニア管の改名なので、どの方向から見ても演奏レベルは高いと言わざるを得ないだろう。古い録音はサージェントに水をあける野暮なものもあったが、あくまで譜面に忠実に実直にやりながら、ホルストの洗練された野心的なオーケストレーションが前提にあるからこそ派手で聴き応えがある。強弱の差が激しい録音なのでお気をつけて。カラヤンが復活させたオーケストラレパートリーとされるが、あくまで著名オケでデジタル録音したというだけで、英国では脈々と演奏録音され続けそれなりに聴かれてきた演目である。むしろ正統であろう。

リムスキー・コルサコフ:ロシアの復活祭序曲

ストコフスキ指揮NBC交響楽団他(CALA他)1941・CD

テノール独唱を伴う特殊な編成で演奏されている。チャイコフスキー交響曲2番一楽章に主題が転用された事情からリムスキー最盛期の作品であるにも関わらずリムスキーの曲ではないジェネラルな雰囲気があるというか、禿山の一夜に似ているという人もおり、構成も極めて明快な三部構成なのでとにかく聴きやすい。効果的かつ合理的な構造もラヴェルの参照した管弦楽法の大家たるところをよく示す。必要十分、過剰にならないプロフェッショナリズムはやはり五人組作品では珍しい。これはとくにストコフスキーがトスカニーニの高性能オケを使ってこう引き締まってやると集中度の高いドラマティックな演奏になるという証明になっている。今朝の題名のない音楽会でも少し取り上げられていたがストコフスキーが譜面操作も厭わなかったのは、より合理的で効果的な音楽を目しただけで、そこにグダグダな気分のロマンティシズムはないのである。録音状態は厳しい。

ウィリアム・シューマン:交響曲第3番

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS)1941/10/17初演live

師ハリスの「アメリカアカデミズムの一派を象徴する重厚な作風」に似るが、出自がバンドを組みポップス畑からキャリアを始めたということからもわかるとおりハリスより派手で、届きやすい効果を狙ったところが受ける要因になっていたかと思う。この作品はバロック様式を念頭にしたといい、マニアックに構造的に書かれわかりづらいところもあるがそれはあくまでスコアを見るからそう思うのであって、アメリカ同時代交響曲の中では踏み外さないうちに新味も取り込んだ響きと比較的明瞭なメロディがあり、後半楽章では生硬ながらアイヴズ的な野心の感覚に裏打ちされた(この作曲家との関わりはアメリカ変奏曲の編曲で有名)ヒンデミットふうの盛り上げ方を持ち込んでおり、さらに中音域の抜けた響きが澄んで明瞭な印象を加えて、けして悪くはない。のちにショウマンシップを発揮しテレビタレントとして活躍したイメージが、知らないはずの私にさえあるが、この時点ではトップクラスではないだろうがロイ・ハリスの脇にいて先を狙う力強い楽才を発揮しかけていたのがわかる。スネアの伴奏の上でジャズのリズムの無調風フレーズを吹かせていき、そこから逡巡しつついわゆる「ボレロ的展開」に入ると、いやボレロほど単純ではないが、目まぐるしく映画音楽的に盛り上がる。クーセヴィツキーは前半楽章(第一部)において素晴らしく色彩的で、美麗な響きを繰り出し、こんな緻密なハーモニー整えられる人だったんだ、と驚嘆させる。ティンパニ打撃も派手。鼻歌も聞こえるので乗っているのは確かだ。元のハーモニー自体の単純さはさておき、楽曲的に後半は響きより構成と動き主体なので、少し時間はかかるが、フィナーレの胆汁気質なハデハデな終わり方はクーセヴィツキーらしい剛直なフォルテッシモな感じである。聴衆は少し戸惑い気味だが、クーセヴィツキーは満足したものと思われる。楽団に瑕疵がない。

ディーリアス:ブリッグの定期市

ビーチャム指揮交響楽団(columbia/somm)1928/12/11、1929/7/10・CD

フルートの序奏からさっさと始まりオリエンタルなフレーズ(五音音階は田舎のイギリス人にとってはオリエンタルでもなんでもないだろうが)を強調することなくいきなり進む。しかし、やはりこれは50年代の録音同様に冒頭だけで、短い民謡旋律に注意深い変奏を加えていく中身は旋律に耽溺しまくる。この曲はディーリアスが初期に簡素なオーケストレーションでただ民謡を洗い直すだけだったり、全盛期に常套的な濁った和声を駆使し半音階で煙に巻いたりしたものとは異なる過渡的な時期のもので、元となった民謡を歌曲翻案したグレインジャーの直接的影響も大きいだろうが、薄く明るい響きを保ちながらハープなどフランス風の綺麗な装飾を加え木管中心で進めつつも、フランスのそれとはまったく異なる優しい民謡は旋法的な特性を上手く引き出されて、まったくの旋律音楽として編曲され、部分的にはのちの半音階的な曇りを持ち込まれているとしても世俗性を感じさせない。それだけに、ここまで煽ってもあまり臭みはなく、ただただ感傷的な風景を想像させるのみである。田舎の市場の音楽だが、それは都会の想像する理想の田舎でもあり、ビーチャムは生粋の都会人だから単純な愛の歌をこう抽象化してなお感情を煽れたのだろう。良い音。

オネゲル:映画音楽「ナポレオン」~Ⅶ.影

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

和声的にゆったり動く弦の上でトランペットソロが軍隊ふうであれど孤独で、断片的な旋律を吹く、その繰り返しで、どこかで聴いたような、アイヴズのような、しかし映画音楽には贅沢なピアニッシモの断片。単純で、さすがにマリウスも外さない。ニガモンの歌とは関係ない。

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オネゲル:テンペスト前奏曲

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

作曲家自身が確か交響的運動とともに録音を残している、そのとおりで作風的には主題を持たない交響的運動作品、響きはジョリヴェを洗練させたように野蛮主義的だが計算された立体的な代物で超音波のように超高音を響かせたり弦には半音階的な機械的フレーズを繰り返させ、ドガシャーンをやる、楽しいというか、騒音主義を律したようなもので、むしろマリウスでよかった、といういくぶん和らいだ演奏。

オネゲル:劇付随音楽「フェドーラ」組曲~Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

明らかに春の祭典を意識したような部分と、同時代によくある晦渋な交響作品が不思議と絡んだような作品。フランスふうというか、ストラヴィンスキーがハルサイにて木管ソロに奇怪なフレーズを吹かせたのがそもそもだが、管弦楽にはどことなく洗練されたふうの響きもある。演奏は普通。

オネゲル:交響詩「ニガモンの歌」

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

マリウスの演奏は柔らかくドラマを包みこんでしまうきらいがある。印象主義の雲の中へ返してしまっているようだ。作曲家周辺およびミュンシュらの激しい骨董録音とくらべれば迫真味が薄らぐのは仕方ないが、もやもやした感じは録音のせいかもしれない。

オネゲル:モノパルティータ

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

比較的演奏される、交響曲群を思わせる抽象的なアンサンブル曲。50年代に「現代音楽として」ロスバウトに初演された。ここでは「室内アンサンブル的な緊密さ」は聴かれず、派手で少し柔らかく、一般的な交響曲的表現がとられており、そこがオネゲルの「頭でっかちな魅力(バッハに倣え系新古典主義というやつですか)」を損なっていると感じるか、単純に聴きやすい(緩徐主題はいくぶん夢見るような叙情性を醸すし、ドラマは有機的に繋がりあまり構造に拘泥させた聴き方を要求しない)と感じるかは人それぞれか。かつてはこれくらいしか曲を知り得る録音は無かった。今はもっと昔のオネゲルの同僚クラスの演奏から最新の厳しい演奏まで選ぶことができる。

オネゲル:バレエ音楽「アンフィオン」~前奏曲、フーガと後奏曲

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

これは曲はオネゲルにありがちな曇った構造的な作品で、演奏はパッとしない。すっきり、厳しくアンサンブルを整えて透明感を出すようにしないと、交響的運動と呼ばれた作品群や初期を除く大半のオネゲル作品はこんな残らない演奏になってしまう。
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