ディーリアス:ピアノ協奏曲

フォーク(P)デル・マー指揮RPO(UNICORN)1991版・CD

いかにも古臭い曲で両端部で少し妖しい和声が世紀末ディーリアス感をかもすほかはほとんど前時代の遺物、すなわち同時代に世にあふれていたであろう二流作曲家のロマン派協奏曲ふうである。どこかで聞いたことのあるような代物で、これの原総譜が返却されないことに怒っている代筆書簡を持っているが、なんでこんな曲にすでに個性的作風を確立していたディーリアスがこだわったのか理解不能なところもある。新しい録音でも、これが単一楽章のまとまった曲でなければ聴いてられない・・・と私は思う、そういう曲である。

ミヨー:交響曲第4番

フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(CPO)CD

新しい録音は珍しいミヨーの大交響曲なのでこの全集は貴重。革命歌等に彩られた派手で聴きやすい一楽章、四楽章を持つだけにミヨーの大交響曲でも一番に推せる曲、自然に聴こえるよう精緻に整えられた複調性の響きや絡み合う構造的なリズムは入門編としても完全である。交響曲におけるミヨーが牧歌の延長ではなくしっかり西欧的な交響曲をフランスの現代作曲家として四楽章制で書ける人だった、その才人ぶりを知るにも好都合の一枚だ。

ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲

ジョドリー(Vn)ミュンシュ指揮ORTF(ina他)1954/6/19ストラスブール祭live

Amazonデジタル配信とina.frは記載曲名が違うがまったく同じもの。ムラヴィンスキーのコンサートの代わりとして決まった割にはさすがミュンシュといった完成度で、ハチャトゥリアンがじつにやりやすく書いていて、ソリストも相当の腕前であることを念頭に置いても、聴き応えは満点だ。ミュンシュ向きの曲だし、ソリストも強靭に、荒々しくすべきところは音を掠らせて、冒頭から最後まで弾きっぱなし、単線的な細かい音符の数珠つなぎでオケを引っ張っていく。大ブラヴォが出てしかるべし、ハチャトゥリアンがソヴィエトにありながら個性をどう保ちアルメニア民謡をコダーイでもバルトークでもない古来ロシアのやり方でもない形で一般人に届く音楽に仕立てたのか、よくわかる。バッハの無伴奏がアンコール。こちらは何も届いてこない。ミスもひどい。

オネゲル:ラグビー

コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(GRAMOPHONE/lys)1929/3/4・CD

パシフィック231と対をなす爽快な運動的小品で、ここではコッポラはオケの捌きの腕を存分に発揮し立体的な書法により巧みに錯綜する音楽を不断のリズムとテンポにのせてしっかり突き通していく。オケは時代なりの精度ではあるが、コッポラらしい、時代を超越した現代的な演奏にもなっている。

フローラン・シュミット:サロメの悲劇

コッポラ指揮グラモフォン交響楽団(lys他)1929/9パリ・CD

ルーセル、オネゲル、ラボーとの組み合わせというさすがにスキモノしか買わないようなCDだがSPではすでに何曲か聴いていたのでその耳で未聴のこれを聴くと、板起こしの段階でパワーダウンしてるところはあるんだろうなあ、というところ。だがしかしフローランのロマンティックで稀有壮大な音楽はsp向きではないし、この曲はそうは言ってもとくに前の方は典雅な雰囲気もあるので、逆にそういう空気を醸すには音がこもりすぎている。あくまで記録として(自作自演を除けば初録音だろうか)、何でも振る職人指揮者のレパートリーのひとつと捉えるのが良い、というところだ。

オネゲル:夏の牧歌

クーベリック指揮ACO(RSR/cascavelle他)1959/11/4モントルー音楽祭live・CD

クーベリックの芸風からしてオネゲルは交響曲向きであり、落ち着いた趣の同曲には正直向かない。オケが中欧的なためブラスなど管楽器の重い響きに違和感があり、満を持して弦楽器が出てくるまで余りにもリアルで、あと残響付モノラル音源の硬質さが馴染めなかった。ただ、この静かで穏やかな高地の夏、という趣の曲にはやっぱりオネゲルらしい立体的な書法が施され、削ぎ落とすRVWとはまったく異なる。ロマンティックなディーリアスとも異なる。構造性をはっきり浮き彫りに、力強く表現するところは独特のおもしろみと迫力がある。余技的演奏かもしれないが、同曲と、幻想交響曲が好きならどうぞ。

オネゲル:交響曲第2番

クーベリック指揮ORTF(ina/forgottenrecords)1956/2/23live(3/1放送)

ina配信とAmazonデジタルはおそらく同じ音源。実直な演奏で、メリハリがなく終始重苦しい。これはあまり解釈せずになじみのない異国の作曲家の曲のような感覚で、スコアのままに仕上げたものか。最後のトランペットも地味で、しかしそういう表現は私はあっているとは思うのだが、録音のモノラルでけしてよくはない、その状態では単に力を抜いて吹いたように聴こえてしまう。とにかく、教科書的と言っておこうか。同曲は1978/2/2のNYPライヴがありアルヘリチとの一期一会の記録とともに著名だったようだが現在聴けるかどうか不明(10年近く前はweb配信されていたがリンク切れ)。オネゲルについてはモノパルティータがtahraから(もともとは当のイリノイ大学が無料配信していた)、3番がFKM(裏青)からでていた(る)。1959/11/4の夏の牧歌のライヴ(ACO)があり、最初はcascavelleが発掘した音源のようで、私もさきほどまで知らなかった。RSR(RTS Radio Television Suisse(Evasion Music))よりCOLLECTION SEPTEMBRE MUSICAL Vpl.6として正規再発があり(一部日本代理店でも扱いあり、ただラインナップは少ない)、ベルリオーズの幻想とともにモントルー音楽祭ライヴとしてAmazonデジタルで配信販売されている(単曲可能、ただ海外だと全盤としては配信は半額近く、クラウド利用できるかどうか、安心感があるか価値を認めるかどうか。CDはリンク先で買えるが高い)。これがすべてのようである。

ルーセル:弦楽四重奏曲

パレナン四重奏団(vega/westminster/forgottenrecords)1956

vegaではイベールと組み合わせられていたがfrはソゲを加えた三曲でお得。モノラル時代のこの楽団の勢いが伝わってくる。しかし後年をおもわせる濁らない響きで、晦渋な二楽章でルーセルが本来響かせたかったであろう透明な美しい音響を美麗に再現しているのもよい。こういう解釈を施ししっかり音にした録音は意外とすくない。三楽章もしっかり軽やかにコントラストがつき四楽章の盛り上げはバッハ的構造性に囚われざるを得ないながらもともとのルーセルの嬉遊性を拾い集め、最晩年の散漫な暗がりから、もうカルヴェ譲りの力強いファーストで押し切っている。この曲を初めて知ったのはこのvega盤だったが裏のイベールの印象がつよかったせいか何故か今まで全く触れてこなかった。私の中では同曲の基準である。

フランセ:2台のピアノとオーケストラのための協奏曲(1965)

作曲家、クロード・フランセ(P)シュトル指揮南西ドイツ放送交響楽団(wergo)1967/6・CD

私にとって非常になつかしい盤で、プーランクより先にこちらを聴いたがためにプーランクに紛い物感をかんじてしまった次第。楽想は少ないしムードは一貫して世俗的で皮肉っぽさを兼ね備えた嬉遊曲、しかも長い四楽章制ときて、漫然と聴くと飽きてしまうことは飽きてしまうが、立体的な構造を含むメカニカルな点ではプーランクの比較にならない創意の緻密に組み込まれかつ常に変化しつづける、譜面からすればけして「飽きる」類の曲ではない。ピアノは和声的なフレーズはほとんどなく、ひたすら指を横に鳴らし続けるタイプの、ペダルなんかいらない類のスポーティなもの。色んな意味でプロフェッショナルな作品で、フランセとしては暗さもはらむ引き締まった全盛期作品より、委嘱作品的な面の目立つ後期作品だが、旋律や動きには一般にもアピールする面は多々あり、人気もまたあるようだ。胡麻を撒くようなスタイルの演奏で曲にあっていることは言うまでもない。すこし録音がノイジーか。

ヴィラ・ロボス:序曲「熱帯雨林の夜明け」

作曲家指揮ORTF(ina)1954/6/5「ヴィラ・ロボスを讃えて」live(8/30放送)

Amazonデジタルとina.frは同じ音源と思われる。ブラジルの朝はずいぶん鈍重なものなのだなあ、と思わせる。この人に印象派的なものを期待するのは間違いで、構造をよく聴けばバッハが透けて見えるが、そのバッハ自体がいわゆる新古典主義の旗印とされた簡潔明快さというより、数学的な計算のもとに複雑な、緻密なものであるところを、ヴィラ・ロボスはさらにロマンティックな音楽観に沿って飾っているように感じる。正直この人に現代的な感覚におけるアマゾン感は無いが、フランスではそれでも異国情緒に聞き取れたのだろう。指揮はきわめてこなれている。

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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

録音がクリアではないが力強くこの曲では十分楽しめる。半音階的でワグナーの孫のような重厚なうねりから、ドスンドスン単調なリズムが重さはそのままに楽しげな音楽に転じていく。だがそこにはつねに地に足の着いた、浮つかない目の詰まった音響があり、ミュンシュはむしろそういった非フランス的な部分を交響曲のように展開させ耳を惹く。ブラヴォの嵐もさもありなんな、ルーセルにとってもミュンシュにとっても名作である。

プーランク:二台のピアノのための協奏曲

フェヴリエ、作曲家(P)ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

ina配信とAmazonデジタル配信は同じと思われる。生前はよくこのコンビで演奏された。データとアナウンスと混乱しているが一応こうかな、ということで第一をフェヴリエとして記載しておく。プーランク自身はすでに指がよく回らなくなっていたはずである。じっさい一楽章冒頭では両者混乱しまくりでミスタッチもテンポの乱れも頻発、バックオケがすぐれているために崩壊はしないがこれは一般的な商業ラインにはのらないだろう。しかし3楽章になってくると(主としてフェヴリエだろうが)腕がさえてきて、というか、センスがさえてきて、プーランクは決して縦の音数が多くなく、指を旋律に乗ってならすことが主眼となってくるがゆえテンポが気まぐれに揺れがちなところ、発音の明瞭さでしっかりくさびを打ち、代表作ともいえるこの曲をセッション録音をほうふつとさせるしっかりしたつくりで最後まで聞ききらせる。ここはなかなか。ただ、ミスは残るようだ。拍手は別マイクのようだが盛大ではあるものの、ブラヴォは目立たない。会場が大きいせいかもしれない。この前がルーセルの1番シンフォニー、このあとがダラピッコラのけっこうな曲、そしてニグとボリュームのある演目(すべて放送収録販売されている)。

ルーセル:交響曲第1番「森の詩」

ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

まだ作風の固まっていない時代の作品だが雑多な要素の詰め合わせは楽しく聴ける。リアルでロマンティックな性向の指揮がルーセルの古い面を浮き彫りにしてしまい、透明感が出ないところが少し気になる(マルティノンの正規盤に慣れすぎたのだろうか)。一楽章「冬の森」は前の時代の描写音楽の影響が色濃く、弦の刻みとブラスのユニゾンなど直近ではロシア国民楽派のようだ。形式的にも堅苦しい。もっと堅苦しいソナタ形式の二楽章はバレエ音楽に転用されるのもさもありなんな、ピエルネのように軽やかな音楽で、「春」にふさわしい。ここにきて和声的な新しさを前に出すようになり、印象派を標榜しても良い気がするが、どうも、グリエールの「イリヤ・ムーロメッツ」を思い起こさせる低音ブラス(一楽章でも重用される)など、展開していくところで雑多散漫な印象は否めない。三楽章「夏の夕べ」は期待させる題名に比してパッとしない。ディーリアスを退化させたような音楽だ。四楽章「牧神と森の精」はなるほど冒頭から野蛮ですらある新鮮な響きで、ここへきて、多少キッチュでダンディふうでもあるがルーセルらしさが聴こえてくる。バレエ音楽ふうで響きの重心が上がり、半音階的な動きに拘泥されず作風に取り込んで、虚仮威し的な太鼓などちょっと邪魔だが、手法の新規性はドビュッシーにはとても及ばないものの、南欧ふうの要素をかなり取り入れたうえストラヴィンスキーに近づけようと(近づいてないが)野蛮さ奇怪さすら少し忍ばせて、総体的にはずっと後のアメリカの音楽に似た効果をあげる曲になっている。ハープとフルートが出てくるとやはりドビュッシー後の典雅さが醸し出されて良いが、長続きせず、こういう場面転換の速さがバレエ音楽に転用された所以でもあろうか。やっぱりドビュッシー後とは思えない古臭さが主としてティンパニの用法と半音階的な旋律にワグナーやリストの孫引きのような書法が、「題名ほどの夢幻的な作品ではないよ」と知らしめる。モノラル。少しノイズは入るが概ね可。ina.frとAmazonデジタルは日付が違うがおそらく同じ音源。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO/IMG)1962/3/30放送 live・CD

雑にクリアなステレオなので却って聞き辛い。やかましい。それに、集中力に欠いているように思う。拡散的で落ち着き払ったミュンシュなんて、音だけ大きく派手であっても、ストコフスキーまではいかない、どことなくよそよそしいというか、構成的に弱々しいというか。客席反応も普通。あまり盛り上がらない。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

篭ったモノラル録音。直前のピアノ協奏曲などキンキンノイズで非常に悪い。Amazon配信とina.frのものは同じ。ルーセルの前に演奏されているので中盤ということだが、冒頭疲れがみえる。オケは鈍くさく感じ、足どりも重く前に向かわない。ミュンシュは整えにかかっているようだ。音響の迫力はあるが、録音状態からもベストとは言えない。とはいえ第一部最後の再現部はミュンシュらしい勢いが出る。第二部は木管をはじめとしてオケの長所が出る。機能性がイマイチなだけで、このオケは音(響き)は良い。リアルな押しが強く音が中心に固まるのは録音のせいだと思う。そして後半から第三部は地響きのするような凄まじさ。ミュンシュここにありだ。

オネゲル:交響曲第5番「3つのレ」

マルケヴィッチ指揮ORTF(ina)1955/6/8(9放送)live

モノラルだが環境雑音を拾うほどクリアな録音。Amazon配信はina配信と同じもの(ina配信は放送日を記載)。演目もハスキルのモーツァルトなど同じ。この曲はアナウンスが誤っているので注意。ミュンシュからリリシズムを取り去り骨皮にして力強く突き進ませるような演奏で意外と精緻志向ではない。僅かにオケミスも聴かれるのは曲のせいか。オネゲルの映画音楽的な効果をあげる構成を活かさず、純音楽的に、なおかつ「力づく」で叩きつけてくる、それは他の慣れた指揮者のものと比較して個性的には感じないし、魅力を殺す部分もあるが、音楽の活動的な面はリズムとスピードと捌きに特別の力を発揮するマルケヴィッチの腕が、慣れない曲でも、やれるんだという感慨をあたえる。四楽章の凄まじさは聞きもの。最後はあっさり終わる。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA)1962/2/2live放送

こもっているが解像度のあるステレオ。僅かに針音のような音が入る(三楽章)。二楽章途中でデジタルノイズが入るのは惜しい(盤劣化かもしれない)。よく歌い響かせ、リアリスティックな(録音のよさゆえかもしれない)一楽章は純管弦楽的な魅力がある。はっきりしている。二楽章は落ち着いているがリズムは明確で変に即興的なふうに流れず力強くテンポを維持している。こちらもはっきりした演奏だ。構成がしっかりしていて、シレーヌへの繋がりも上手い。響きの変化がよくとらえられ、内声の細かな装飾音まで聴こえてきて、ドビュッシーはここまで聴こえないと本来の独創性は満喫できないとも思う。時期的なものもあるだろうがミュンシュは力づく、というイメージは当てはまらない。ファンタジーよりやはりリアル、波濤まで描き出した「海」のような演奏と言えると思う。ここまでやっての管弦楽のための夜想曲だよな、と思った。合唱が管弦楽の部品としてハマっていてよい。そのぶん管弦楽は抑え気味で抑揚を弁えている半面、ちょっと手を抜いたか、という粗さも少し聴こえる。シレーヌはリアルにやってしまうアンゲルブレシュトのような人もいるが、ミュンシュは幻想味が最後の輝かしい和音まで続く。拍手は普通。

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伝統歌:chantons pour passer le temps(Chanson de bord)(オーリック和声・編曲)

O.Ertaud,J.Peyron(t)デゾルミエール指揮管弦楽団(le chant du monde)SP

裏面はグレイ婦人の歌でcascavelle の復刻に含まれている。この歌はどう訳したら良いのかわからないが検索すればすぐに動画サイトで原曲が聴けるのでフランスではかつてポピュラーな歌だったのだろう。「時を渡す歌」などと訳そうものなら脳天気な、この編曲ではなおさら脳天気な曲にぜんぜん似つかわしくない暗いシャンソンになってしまう。二人でコミカルに歌うところにそつないオケ、小規模だがオーリックの腕は生きている。楽しい歌。

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ルーセル:弦楽四重奏曲

ロート四重奏団(COLUMBIA)SP

第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。戦中プレスの日本盤で。ルーセル晩年作、形式的には明暗をしっかりつけ、おおむね古典的なソナタ形式による四つの楽章を保とうとしながら、雰囲気においてそれに囚われてはおらず全曲を通してのムードの変化があり、またオーケストラ的発想に基づいた音楽を四本に縮めたようなところがあるが、全盛期の「管弦楽のための組曲」といったリズムや旋律重視の曲とはまるで異なり、分厚い和声のみに語らせるような内省的な音楽で、過去のフランス楽壇の甘やかな記憶が夢のように浮かび(ルーセルはそこに定住せずむしろ中欧で評価を受けた作風の人だが)悲痛さすら醸し出してくる。これはしかし後年のレーヴェングートなどの演奏からは聴こえないものなので、終始整った客観的姿勢を崩さないロートにあっても、時代が音に出てしまった、と言えなくもない。明るく軽い音の持ち味がラストではルーセルの弱みである重い構造をカバーして、何か開放的な雰囲気が凄い。重苦しい中間楽章からの変化は聞き物。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

ロート四重奏団(COLUMBIA)SP

第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。フーガの技法など古典イメージがあったがこういうのもあるとは。調べるとフランクのピアノアンサンブルもこのメンバーだし今聴けるほとんどがこのメンバーなのではないか。まじめで落ち着いた演奏ぶりで、新世代の演奏スタイルを感じさせる。テンポが遅く揺れないが高潔に楽譜を護持するスタイルもこの時代(私の日本プレスは戦中くらいだろう)は、即物主義とも違って新鮮に受け取られたことだろう。ロートは出はオーストリアだと思ったが(ベルリンのち渡米した)フランス的なスタイル、音に聴こえるくらい軽く透明感がある。ファーストが突出する曲だけれどバランス的にあくまでアンサンブルとして整えられている。四楽章冒頭だけで盤返しという荒業と最後の方がやや音撚れする(盤面が凸凹してるのもある)のは残念。まあ、面白がって聴く演奏ではない。スタイル的に同じような団体は新しくいくらでもいる。
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