ルーセル:弦楽四重奏曲

パレナン四重奏団(vega/westminster/forgottenrecords)1956

vegaではイベールと組み合わせられていたがfrはソゲを加えた三曲でお得。モノラル時代のこの楽団の勢いが伝わってくる。しかし後年をおもわせる濁らない響きで、晦渋な二楽章でルーセルが本来響かせたかったであろう透明な美しい音響を美麗に再現しているのもよい。こういう解釈を施ししっかり音にした録音は意外とすくない。三楽章もしっかり軽やかにコントラストがつき四楽章の盛り上げはバッハ的構造性に囚われざるを得ないながらもともとのルーセルの嬉遊性を拾い集め、最晩年の散漫な暗がりから、もうカルヴェ譲りの力強いファーストで押し切っている。この曲を初めて知ったのはこのvega盤だったが裏のイベールの印象がつよかったせいか何故か今まで全く触れてこなかった。私の中では同曲の基準である。

フランセ:2台のピアノとオーケストラのための協奏曲(1965)

作曲家、クロード・フランセ(P)シュトル指揮南西ドイツ放送交響楽団(wergo)1967/6・CD

私にとって非常になつかしい盤で、プーランクより先にこちらを聴いたがためにプーランクに紛い物感をかんじてしまった次第。楽想は少ないしムードは一貫して世俗的で皮肉っぽさを兼ね備えた嬉遊曲、しかも長い四楽章制ときて、漫然と聴くと飽きてしまうことは飽きてしまうが、立体的な構造を含むメカニカルな点ではプーランクの比較にならない創意の緻密に組み込まれかつ常に変化しつづける、譜面からすればけして「飽きる」類の曲ではない。ピアノは和声的なフレーズはほとんどなく、ひたすら指を横に鳴らし続けるタイプの、ペダルなんかいらない類のスポーティなもの。色んな意味でプロフェッショナルな作品で、フランセとしては暗さもはらむ引き締まった全盛期作品より、委嘱作品的な面の目立つ後期作品だが、旋律や動きには一般にもアピールする面は多々あり、人気もまたあるようだ。胡麻を撒くようなスタイルの演奏で曲にあっていることは言うまでもない。すこし録音がノイジーか。

ヴィラ・ロボス:序曲「熱帯雨林の夜明け」

作曲家指揮ORTF(ina)1954/6/5「ヴィラ・ロボスを讃えて」live(8/30放送)

Amazonデジタルとina.frは同じ音源と思われる。ブラジルの朝はずいぶん鈍重なものなのだなあ、と思わせる。この人に印象派的なものを期待するのは間違いで、構造をよく聴けばバッハが透けて見えるが、そのバッハ自体がいわゆる新古典主義の旗印とされた簡潔明快さというより、数学的な計算のもとに複雑な、緻密なものであるところを、ヴィラ・ロボスはさらにロマンティックな音楽観に沿って飾っているように感じる。正直この人に現代的な感覚におけるアマゾン感は無いが、フランスではそれでも異国情緒に聞き取れたのだろう。指揮はきわめてこなれている。

続きを読む

ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

録音がクリアではないが力強くこの曲では十分楽しめる。半音階的でワグナーの孫のような重厚なうねりから、ドスンドスン単調なリズムが重さはそのままに楽しげな音楽に転じていく。だがそこにはつねに地に足の着いた、浮つかない目の詰まった音響があり、ミュンシュはむしろそういった非フランス的な部分を交響曲のように展開させ耳を惹く。ブラヴォの嵐もさもありなんな、ルーセルにとってもミュンシュにとっても名作である。

プーランク:二台のピアノのための協奏曲

フェヴリエ、作曲家(P)ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

ina配信とAmazonデジタル配信は同じと思われる。生前はよくこのコンビで演奏された。データとアナウンスと混乱しているが一応こうかな、ということで第一をフェヴリエとして記載しておく。プーランク自身はすでに指がよく回らなくなっていたはずである。じっさい一楽章冒頭では両者混乱しまくりでミスタッチもテンポの乱れも頻発、バックオケがすぐれているために崩壊はしないがこれは一般的な商業ラインにはのらないだろう。しかし3楽章になってくると(主としてフェヴリエだろうが)腕がさえてきて、というか、センスがさえてきて、プーランクは決して縦の音数が多くなく、指を旋律に乗ってならすことが主眼となってくるがゆえテンポが気まぐれに揺れがちなところ、発音の明瞭さでしっかりくさびを打ち、代表作ともいえるこの曲をセッション録音をほうふつとさせるしっかりしたつくりで最後まで聞ききらせる。ここはなかなか。ただ、ミスは残るようだ。拍手は別マイクのようだが盛大ではあるものの、ブラヴォは目立たない。会場が大きいせいかもしれない。この前がルーセルの1番シンフォニー、このあとがダラピッコラのけっこうな曲、そしてニグとボリュームのある演目(すべて放送収録販売されている)。

ルーセル:交響曲第1番「森の詩」

ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

まだ作風の固まっていない時代の作品だが雑多な要素の詰め合わせは楽しく聴ける。リアルでロマンティックな性向の指揮がルーセルの古い面を浮き彫りにしてしまい、透明感が出ないところが少し気になる(マルティノンの正規盤に慣れすぎたのだろうか)。一楽章「冬の森」は前の時代の描写音楽の影響が色濃く、弦の刻みとブラスのユニゾンなど直近ではロシア国民楽派のようだ。形式的にも堅苦しい。もっと堅苦しいソナタ形式の二楽章はバレエ音楽に転用されるのもさもありなんな、ピエルネのように軽やかな音楽で、「春」にふさわしい。ここにきて和声的な新しさを前に出すようになり、印象派を標榜しても良い気がするが、どうも、グリエールの「イリヤ・ムーロメッツ」を思い起こさせる低音ブラス(一楽章でも重用される)など、展開していくところで雑多散漫な印象は否めない。三楽章「夏の夕べ」は期待させる題名に比してパッとしない。ディーリアスを退化させたような音楽だ。四楽章「牧神と森の精」はなるほど冒頭から野蛮ですらある新鮮な響きで、ここへきて、多少キッチュでダンディふうでもあるがルーセルらしさが聴こえてくる。バレエ音楽ふうで響きの重心が上がり、半音階的な動きに拘泥されず作風に取り込んで、虚仮威し的な太鼓などちょっと邪魔だが、手法の新規性はドビュッシーにはとても及ばないものの、南欧ふうの要素をかなり取り入れたうえストラヴィンスキーに近づけようと(近づいてないが)野蛮さ奇怪さすら少し忍ばせて、総体的にはずっと後のアメリカの音楽に似た効果をあげる曲になっている。ハープとフルートが出てくるとやはりドビュッシー後の典雅さが醸し出されて良いが、長続きせず、こういう場面転換の速さがバレエ音楽に転用された所以でもあろうか。やっぱりドビュッシー後とは思えない古臭さが主としてティンパニの用法と半音階的な旋律にワグナーやリストの孫引きのような書法が、「題名ほどの夢幻的な作品ではないよ」と知らしめる。モノラル。少しノイズは入るが概ね可。ina.frとAmazonデジタルは日付が違うがおそらく同じ音源。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO/IMG)1962/3/30放送 live・CD

雑にクリアなステレオなので却って聞き辛い。やかましい。それに、集中力に欠いているように思う。拡散的で落ち着き払ったミュンシュなんて、音だけ大きく派手であっても、ストコフスキーまではいかない、どことなくよそよそしいというか、構成的に弱々しいというか。客席反応も普通。あまり盛り上がらない。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

篭ったモノラル録音。直前のピアノ協奏曲などキンキンノイズで非常に悪い。Amazon配信とina.frのものは同じ。ルーセルの前に演奏されているので中盤ということだが、冒頭疲れがみえる。オケは鈍くさく感じ、足どりも重く前に向かわない。ミュンシュは整えにかかっているようだ。音響の迫力はあるが、録音状態からもベストとは言えない。とはいえ第一部最後の再現部はミュンシュらしい勢いが出る。第二部は木管をはじめとしてオケの長所が出る。機能性がイマイチなだけで、このオケは音(響き)は良い。リアルな押しが強く音が中心に固まるのは録音のせいだと思う。そして後半から第三部は地響きのするような凄まじさ。ミュンシュここにありだ。

オネゲル:交響曲第5番「3つのレ」

マルケヴィッチ指揮ORTF(ina)1955/6/8(9放送)live

モノラルだが環境雑音を拾うほどクリアな録音。Amazon配信はina配信と同じもの(ina配信は放送日を記載)。演目もハスキルのモーツァルトなど同じ。この曲はアナウンスが誤っているので注意。ミュンシュからリリシズムを取り去り骨皮にして力強く突き進ませるような演奏で意外と精緻志向ではない。僅かにオケミスも聴かれるのは曲のせいか。オネゲルの映画音楽的な効果をあげる構成を活かさず、純音楽的に、なおかつ「力づく」で叩きつけてくる、それは他の慣れた指揮者のものと比較して個性的には感じないし、魅力を殺す部分もあるが、音楽の活動的な面はリズムとスピードと捌きに特別の力を発揮するマルケヴィッチの腕が、慣れない曲でも、やれるんだという感慨をあたえる。四楽章の凄まじさは聞きもの。最後はあっさり終わる。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA)1962/2/2live放送

こもっているが解像度のあるステレオ。僅かに針音のような音が入る(三楽章)。二楽章途中でデジタルノイズが入るのは惜しい(盤劣化かもしれない)。よく歌い響かせ、リアリスティックな(録音のよさゆえかもしれない)一楽章は純管弦楽的な魅力がある。はっきりしている。二楽章は落ち着いているがリズムは明確で変に即興的なふうに流れず力強くテンポを維持している。こちらもはっきりした演奏だ。構成がしっかりしていて、シレーヌへの繋がりも上手い。響きの変化がよくとらえられ、内声の細かな装飾音まで聴こえてきて、ドビュッシーはここまで聴こえないと本来の独創性は満喫できないとも思う。時期的なものもあるだろうがミュンシュは力づく、というイメージは当てはまらない。ファンタジーよりやはりリアル、波濤まで描き出した「海」のような演奏と言えると思う。ここまでやっての管弦楽のための夜想曲だよな、と思った。合唱が管弦楽の部品としてハマっていてよい。そのぶん管弦楽は抑え気味で抑揚を弁えている半面、ちょっと手を抜いたか、という粗さも少し聴こえる。シレーヌはリアルにやってしまうアンゲルブレシュトのような人もいるが、ミュンシュは幻想味が最後の輝かしい和音まで続く。拍手は普通。

続きを読む

伝統歌:chantons pour passer le temps(Chanson de bord)(オーリック和声・編曲)

O.Ertaud,J.Peyron(t)デゾルミエール指揮管弦楽団(le chant du monde)SP

裏面はグレイ婦人の歌でcascavelle の復刻に含まれている。この歌はどう訳したら良いのかわからないが検索すればすぐに動画サイトで原曲が聴けるのでフランスではかつてポピュラーな歌だったのだろう。「時を渡す歌」などと訳そうものなら脳天気な、この編曲ではなおさら脳天気な曲にぜんぜん似つかわしくない暗いシャンソンになってしまう。二人でコミカルに歌うところにそつないオケ、小規模だがオーリックの腕は生きている。楽しい歌。

続きを読む

ルーセル:弦楽四重奏曲

ロート四重奏団(COLUMBIA)SP

第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。戦中プレスの日本盤で。ルーセル晩年作、形式的には明暗をしっかりつけ、おおむね古典的なソナタ形式による四つの楽章を保とうとしながら、雰囲気においてそれに囚われてはおらず全曲を通してのムードの変化があり、またオーケストラ的発想に基づいた音楽を四本に縮めたようなところがあるが、全盛期の「管弦楽のための組曲」といったリズムや旋律重視の曲とはまるで異なり、分厚い和声のみに語らせるような内省的な音楽で、過去のフランス楽壇の甘やかな記憶が夢のように浮かび(ルーセルはそこに定住せずむしろ中欧で評価を受けた作風の人だが)悲痛さすら醸し出してくる。これはしかし後年のレーヴェングートなどの演奏からは聴こえないものなので、終始整った客観的姿勢を崩さないロートにあっても、時代が音に出てしまった、と言えなくもない。明るく軽い音の持ち味がラストではルーセルの弱みである重い構造をカバーして、何か開放的な雰囲気が凄い。重苦しい中間楽章からの変化は聞き物。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

ロート四重奏団(COLUMBIA)SP

第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。フーガの技法など古典イメージがあったがこういうのもあるとは。調べるとフランクのピアノアンサンブルもこのメンバーだし今聴けるほとんどがこのメンバーなのではないか。まじめで落ち着いた演奏ぶりで、新世代の演奏スタイルを感じさせる。テンポが遅く揺れないが高潔に楽譜を護持するスタイルもこの時代(私の日本プレスは戦中くらいだろう)は、即物主義とも違って新鮮に受け取られたことだろう。ロートは出はオーストリアだと思ったが(ベルリンのち渡米した)フランス的なスタイル、音に聴こえるくらい軽く透明感がある。ファーストが突出する曲だけれどバランス的にあくまでアンサンブルとして整えられている。四楽章冒頭だけで盤返しという荒業と最後の方がやや音撚れする(盤面が凸凹してるのもある)のは残念。まあ、面白がって聴く演奏ではない。スタイル的に同じような団体は新しくいくらでもいる。

グリーグ:弦楽四重奏曲~Ⅱ.ロマンツェ

グラズノフ四重奏団(Parlophone他)SP

日本盤には「ロマンス」とある。単独で発売されたものだろう。この曲はアタッカで四楽章繋げて弾くものだが、まあそこはよい。グラズノフ四重奏団のまろやかで無茶苦茶オールドスタイルな演奏ぶりを、時代からすれば古風な国民楽派の曲によって楽しむ、それだけのもので、曲が楽団に合っていて、普通に安心して楽しめた。技巧的にもヴィルトーソ的で安心して聴ける。

フローラン・シュミット:ロンド・ブルレスク

ガストン・プーレ指揮コンセール・プーレ管弦楽団(Parlophone)SP

あの「スペイン」を振った父プーレだけに詰まらないことはありえない。まして曲が良い。ドビュッシーより、ラヴェル以降の新しいフランス音楽を、ウッカリ古臭いドイツ音楽との折衷様式にしてしまうことなく、まあ、滑稽な、というそのとおりなのだが、ピエルネのシダリーズに現れそうな小牧神が跳ね回り、宮沢賢治の気分にすらなる。フローラン・シュミットが室内楽で使ったサロン風の耳馴染み良い作風を中心に据えている。それにしても、ガストン・プーレはなぜこんなに復刻されないのだろう。力強く楽しいのに。

リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲

○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(ODEON)SP

最初と最後の祝祭的盛り上がりは華やかでいいのだが、組曲ふうにつながっていく曲なので、おそらく録音も跡切れととぎれにやったのだろう、ツギハギのように聴こえ、少し興を削ぐ。元の録音がしっかりしているようで再生の音量もちゃんと出ており、その点は異論はない。ラ・ペリの盤を思い出す。余った部分に熊蜂の飛行が入っているのは既に書いた。フランスの楽団はロシアの曲をよくやったし、これもその意味ではこなれてはいるのだが、最後の方が撚れてしまい膝折れしてしまった。や、原因は盤かもしれないが。ピエルネも手練の専門指揮者ではないからこういう古い曲はやりやすそうだ。

モソロフ:鉄工場

ユリウス・エールリッヒ指揮パリ交響楽団(COLUMBIA)SP

さすがフランスの楽団、いいふうにまとめてくる。サバータの演奏がこんな感じだったか。ハッキリと鉄工所の器械の動きを音楽にした、ということなのだが、でかいだけで使い物にならない製品ではなく、小粒ながら精度の高い品質を担保してくれそうだ。楽団の音に魅力はあるが指揮者は見えてこない。

メイトス:写実的組曲第二番~ドニエプル川の水力発電所

ユリウス・エールリッヒ指揮パリ交響楽団(COLUMBIA)SP

モソロフの鉄工場裏に入っているものでモソロフより数倍抽象化された静かな点景。鋭敏な耳で楽しめる、音数の少ない音楽で、どこが何の目的で作らせた曲だろうが何だろうが、この作曲家が水力発電所の描写として題した以上に適度に現代的な、アメリカの白孔雀などとは隔絶した鋭い曲である。楽器数すくないし演奏はこんなものかというところ。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団他(ODEON/columbia/Parlophone)SP

ODEONだと雲と祭は連番でシレーヌのみ離れており、ばらばらで録音した可能性がある。ピエルネの指揮は硬直したようにかんじることが多いのだが、一楽章はなかなかの雰囲気。まさに夜の雲、静かに浮かび、繊細だ。動きのない曲のほうが向くのかもしれない。楽団のソリストの音が懐かしい。

祭は雲とのコントラストを期待するが、思った以上に鄙びており、むしろピエルネらしい硬直したものとなっている。そも非力な録音から期待される音量を出しきれず聴き取れる変化の幅がかなり狭い。ピエルネの盤にはしばしばあることだが元の録音がそうなのだろう。リズミカルに自由にやるにも、録音上の制約もあったかもしれない。演奏的に弦など心許ない、バラけたようなところがある。木管は良い。中間部で物凄く音量とテンポを落とし、いつペットが吹き始めるんだというリズム打ちが延々続く解釈は面白い。やり方が機械的で現代的だ。壮麗というより、次のシレーヌへつなげるように終わる。

シレーヌは印象派音楽表現のセンス溢れる素晴らしいもので合唱とオケのバランスもモノラル録音としては理想的。美麗で典雅。ブレの無い克明な演奏からはアンゲルブレシュトあたりに通じる、フランス特有の曖昧さを排したオケコントロールぶりも伺える。SPゆえ速めのテンポをとっている可能性があるがそう感じさせないのは音色の繊細な妙だろう。○。

(日本パーロフォン盤の全曲(祭)を入手したためODEON盤評と併せてまとめました)

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND,forgottenrecords)1961/5パリ

音が良いせいもあり、デルヴォーがそういう音作りをする指揮者ということもあり、リアルな肌触りの夜明けは、夜明け以外の何かの派手な幕開けに聴こえる。ただアクの強い表現も慣れてしまえば、デルヴォーのラヴェルってこうだったな、世俗的なダイナミズムをフランスの音で発する、そういったところで一曲目も中盤以降は、変な解釈も気にならなくなる(これは何もコマンド録音に限らないが)。緩急の緩に欠ける、という表現は大雑把過ぎるけど多用してしまうが、ここでは音色表現において緩急に欠ける、と書いておこうか。濃淡と言ったほうがいいのか、何かそれも違う。すでに迫力があり、だが求心的なミュンシュとは些かも似ず、拡散的であり、しかも豪速球というか、ロザンタールともまた違う。主情的なところがある。三楽章の盛り上がりには誰もケチを付けることはできないだろうが、他の人のラヴェルとは一風変わっている。個人的には構成的にカタルシスを得られなかった感じ。
プロフィール

岡林リョウ

Author:岡林リョウ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
カテゴリ
TAG

ストコフスキ 四重奏団 フィテルベルク ミュンシュ トスカニーニ コンドラシン バルビローリ 作曲家 モントゥ アンセルメ 作曲家演奏 ブール エネスコ ガウク ミトロプーロス ロスバウト サージェント オイストラフ フランセ ワイエンベルク ORTF アンゲルブレシュト サモスード デゾルミエール イワーノフ ゴロワノフ ムラヴィンスキー ピエロ・コッポラ モイセイヴィチ ベーム セル クーベリック カルミレッリ シュヒター バーンスタイン ビーチャム パシャーエフ ツィピーヌ アルベール・ヴォルフ パレー ウォレンスタイン アラール オーマンディ サモンズ 山田一雄 ロストロポーヴィチ シェルヘン モートン・グールド ギレー モイーズ 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード