ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

ボールト指揮BBC交響楽団(EMI/warner)1940/4/9・CD

戦中録音であることを考えるとノイズも仕方ないか。ただボールトは後年の録音とスタイルを変えていない。ある意味、もっと動きのいい手兵としてこのオケを存分に動かしており、力みすぎている。力む要素の確かにある、感情的な旋律で、戦時中であれば祈りを叫びにして放ちたい気分もあろう(YouTubeにボールトやサージェントらが戦意?高揚的な舞台に立つ映像がある)。ただどうも、細部の分離の悪い古い音だから「気になる度」はステレオ録音の方が上なのだが、この曲は慟哭を表現するのは違う気がする。思ったより奏者をえらぶ曲なので、最初にワルターとかボールトを聴くと「何この曲」となるかもしれないので、あくまでセカンドチョイスにどうぞ。

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナード

ボールト指揮ロイヤル・フェスティバル管弦楽団他(EMI/warner)1951/5/3・CD

旧録、オケはRPOだろう。録音がいささか旧く、冒頭から弦楽器が薄くバラけたように聴こえるが、鄙びた(RPOとしたららしくない)音も音楽に生命力が宿ると気にならなくなる。管楽器はこのオケらしい軽やかな輝かしさが感じられる。ディーリアスの感傷的なうねりに前向きな旋律をのせ、ホルストを通してジョン・ウィリアムスに受け継がれる神秘的な響きも伴いつつ、完成期からのさらなる中期的な、不協和音や不安な調性が織り交ざるが、すべてがやはりディーリアス的な、そこにもっと民謡風の世俗性を入れて、しかし癖はなく、ボールトはそれをまったく他の同時代指揮者とは違い自然かつ魅力的に、いかにもRVWらしく仕上げている。小粒感はあるがこちらのほうをとる人もいるかもしれない。「原典版」である(合唱あり)。

ヴォーン・ウィリアムズ:未知の地域へ

ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1973/4・CD

「未知なる国へ」と最近は表記するようだがどれもしっくりこない。初期(といっても一旦地位を築いてからラヴェルに学びに行くまで)を代表する歌曲の一つで、海の交響曲(交響曲第一番)にはまだ通じるところがあるが、癖のない無駄のない、しかし個性は薄いロマン派音楽である。ヴォーン・ウィリアムズ批判で出る単純さ、オーケストレーションの薄さは、もともとヴォーン・ウィリアムズを構成する重要な要素である「簡素さ」の裏腹であり、ヴォーン・ウィリアムズは年下の師ラヴェルがそう言ったようにラヴェルを書かず好んだのはドビュッシーだったけれども、簡潔であろうとしたことは共通しており、ラヴェルは複雑にはしたが、ヴォーン・ウィリアムズは単純にした。だから剥き出しの響き、剥き出しのリズムがあり、メロディもはっきりしていて、それに対してリスナーに適性があるかどうかだけの問題になってくる。民謡編曲作品があまりに恥ずかしく感じるのはひとえにこの単純さが原曲のスッピンの恥ずかしさを倍増させているからだ。1905年作品のため殆ど行き詰まってラヴェルのもとへ行く直前だったのだが、この曲にも単純志向は出ている。ボールトは器用だったが、結果は比較的バラツキがあり、不得意なものは不得意に聴こえる。この曲はボールトの得意な「ブルッフのヴォーン・ウィリアムズ」の領域にあり、彼にとって未知ではなく、よって、演奏は合唱を伴うにもかかわらず自然に融合し耳に心地よい。十全の演奏である。まあ、そこにプラスは無い。(ブルッフはラヴェルの前のヴォーン・ウィリアムズの師匠である)

ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

ボールト指揮LPO(EMI/warner)1975/4/28・CD

正直、この曲はもっと客観的で透明感のある演奏のほうが望ましい。古風で(タリスの主題を使っているというのである)教会音楽的なものであればあるほど、むしろ心を揺り動かされる。ボールトは主情的だ。ドイツ風の重みある旋律表現が響きに雑味を呼び、まあハーモニーの雑さはこの前のセレナードでも感じられるが、そこが他の安定した後期曲ならいざしらずまだこの作風を会得して間もないヴォーン・ウィリアムズ相手には難しい。録音が良すぎるのも、悪い面を際立たせてしまっているかもしれない。ラストの装飾的な動きはなかなかまとまらないのだが、ボールトはしっかりまとめることで、却って不自然な原曲の一面をはっきりさせてしまっている。旋律音楽だからロマンティックに歌い上げるのはよい。こういう演奏をきくと某いえよう評論家が、ワルターがこの曲と大地の歌でプログラムを組んだことに対し、センスがあると言った意味はわかる。だが、虚無感は精密で繊細な演奏からしか生まれない(ワルターも異様にロマンティックだ)。この曲に満ち溢れる虚無をあらわすには、ボールトは余りに元気すぎたのかもしれない。最晩年ではあるが、この曲を得意としたストコフスキー同様、ボールトは最後まで覇気溢れる職人だった。

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナード(原典版)

ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1969・CD

原典版とは要は歌唱入りかどうかで、比較的原典版のほうが演奏されているのではないか。ディーリアスふうのロマンティックな響きからはじまり、輝かしく聴きばえのする曲で、明るく透明感溢れる曲に独唱(16人いるので合唱か)がさらなるスケールを与えている。ボールトにおいても特段にロマンティックな味付けはされない。ボールトは合唱指揮やオペラについてほとんど録音がないが、普通にオケのピースとして操って、また適度に自由にさせているようだ。歌唱とオケのハーモニーが濁る箇所はあれど、どこにも欠点のない演奏。

ヴォーン・ウィリアムズ:合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)

ボールト指揮LPOの弦楽メンバー(EMI/warner)1975/10・CD

もう何でなのかわからないのだが、ボールトはブラームスやエルガーの得意なニキシュ系指揮者であったのに、フランスの風を受けたヴォーン・ウィリアムズに関しては別格なのである。いい。とにかく、分厚い響きと反した清澄な音色、室内合奏ならキリキリ引き締めたアンサンブルで鋼鉄のように完璧な音響世界を形づくるのが普通と思うのに、いつもの雑味を残したまま(編成は大き目だと思うが)心の底から揺り動かされる音響で聴くものを包み込む。両端が擬古典的な曲想によるもので、中間にいくぶん悲劇的なものを感じさせる、ときに悲痛な楽章を3つ挟んでいる。ボールトで聴くと「悲痛さ」を一層かんじる。確かマリナーがやっていたか、あれだと全曲通してアンサンブルの妙を愉しませるメカニカルな新古典主義作品で、それはそれでとても印象的な名品だと思ったものだがこれは、名品とも佳品とも感じさせない。これはヴォーン・ウィリアムズである。晩年の境地にて静かに涙を流す、それを人には見せずにただ無言で筆を進める、筆の遊びでも才能の衰えでもない、ただ心象の強く現れた作品であることを、ボールトはしっかり捉えているのである。

ベルリオーズ:幻想交響曲

ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団(COLUMBIA他)1929/10/29ロンドン・CD

先入観のない指揮者だが第一印象は「端正」だった。ドイツ的などんくささのなさ。フランス的なグダグダもしくは裏返しの四角四面さはまったくない。こんなに自然な幻想をこの時代に振っていたというのは驚異的だ。もちろんブラームスでも使っていたイギリスオケの個性も反映されているだろう。個性より調和を重視する態度はワインガルトナーの非意志的な解釈にあっている。すんなり最後まできけてしまう。レコードも周到に作られており、SPなので音量操作は苦労したであろう(私の聞いているものは楽章にもよるがフォルテが弱いぶんピアノがよくききとれて細かく吟味できる)が、おおむね幻想のツボはおさえている。何かイデーがほしいひとにはすすめられない。しかし、まあ、youtu○eにもあるし、幻想好きでドイツ的な演奏の嫌いな人は聞いてみるとよい。迫力もそれなりにあり、推進力もなかなかのものである。電気録音初期とは思えない。

イベール:サックス小協奏曲

ロンデュー(sax)ウーブラドゥ指揮パリ室内コンサート協会(forgottenrecords他)1959/11/8live放送

LP起こしとあるが放送音源であり初出かもしれない。尖鋭なとっつきづらい始まり方をするが終いにはフランセのように軽妙になる(フランセがイベールの息子と呼ばれたのだから逆)。有名な曲で同時代から録音が結構多いが、これはライヴ的な瑕疵がなくしっかりした伴奏、ソリストによるもので、録音状態的にパワーは求められないが、この時代の曲をこの時代の録音で聴いているという前提で聴けば楽しめる、そういう演奏といえば察せられるか。

ミヨー:「ルネ王の暖炉」組曲

ウーブラドゥ指揮パリ音楽院管楽アンサンブル(forgottenrecords他)1951パリ

LP起こし。颯爽としたテンポで軽く、素っ気なく進めていく。これもウーブラドゥらしさなのだろう。楽器の音色も意外とニュートラルでフランスの土着な感じがしない。音がこもって良くない、それはこういうスタイルの演奏にはマイナスに働く。いつのまにか終わっている、そういうまるでスナック菓子のような印象で終った。スナック菓子で良いのかもしれないが。

ロジェストヴェンスキー死去

さようならロシアの巨匠。世界の名匠。
ソビエトだけではなく、世界の音楽を振ってくれてありがとう。
アノーソフさんと祝杯をあげて。
その新世界を愉しんでください。
Russian conductor Rozhdestvensky dies at 87 http://abc6onyourside.com/news/entertainment/russian-conductor-rozhdestvensky-dies-at-87

ストラヴィンスキー:ペトルーシュカ~ロシアの踊り(ピアノ編曲)

コルトー(P)(gramophone/marston)1927/12/6・CD

硬直したテンポ、激しいミスタッチ、コルトーだから後者は仕方がないが幻想を生むにはすこし曲馴染みが薄すぎたようだ。弱音での高音アルペジオには美質があらわれているが、強い音が尽くバランス悪く、ミスまみれ。まさに同時代の録音であり、しかも未発売つまりお蔵になった音源。クリアに復刻されたのはよかったが、こんなものか。このために高い二枚組を買うのはやめておきましょう。自分みたいに。

ブロッホ:5つの小品

ロンドン四重奏団(m&a)1950/1/27live・CD

前奏曲に風景と称する三楽章をはさみ舞曲で終わる表題性のある曲で、さほど長くない組曲だが、曲ごとの性格は結構異なる。晦渋な前奏曲からRVW的なものも含むしかし暗い二楽章ときて三楽章でははっきり特殊な音律を掲げた激しい音楽で、ブロッホらしいユダヤ性というのか、この曲は顕著ではないけれども、職人的な上手さにとどまらない個性が打ち付けられる。ブリッジ構造の中間楽章としての役割を果たしている。続けて仄暗く穏健な楽章、そして舞曲といいながら甘いメロディーやRVWのような軽やかな響きを伴う、あるいはミヨーの二番のように微妙な不協和音をわかりやすさと絡めて、ほとんど踊らないまま美しく新古典的に聞かせる。フランス的(イギリス的)といってもいいだろう。奏者のせいなのかもしれない。演奏自体難度はそれほどなく、この団体が見せ場を作るところに欠けるものの、三楽章、五楽章はブロッホのわかりやすい面を押し出し、この作曲家のイデオロギーを通り越した只者でなさを感じるに良いし、演奏もモノラルの古いものだが一応聞ける。

ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」

ウーブラドゥ指揮室内楽団(forgottenrecords他)1951パリ

LP起こしだが見たことがない。音もこもり悪い。しかし演奏はきわめて明確な輪郭を持ち聴き応えがあり、ミヨーってキッチリやればしっかり聴こえるんだ(あたりまえだけど)、と膝を打った。挽歌ふうの暗いフレーズはすでにミヨー特有の世俗と芸術の融合した世界を象徴する。楽団のソリストを始めいずれの奏者もいかにもフランス往年の響きで魅了するが、そこにジャズの引用が入ってくると、まるで化けたかのようにアメリカになる。しっかりとジャズの音を出しているがそれは、さきほどのフランス風の憂いある音と同じものだ。音はジャズだがリズムは厳格に保つ。そうすることでガーシュウィンではなくミヨーになるのだよ、とウーブラドゥに教えられる心地がする。リズムの錯綜もウーブラドゥにかかると全く自然かつしっかり捉えられ、ジャズを用いながら野蛮主義のストラヴィンスキーのはっきり影響下にあることを認識させる。ウーブラドゥといえば兵士の物語だがこの捌きの旨さはこの人の個性なのだろう。一歩引いて整えるのではなく、積極的に表現させながらも統制をきかせまとめてしまう、非民主的な?この時代だからできたことかもしれない。op.81aで未だかつて感銘を受けたことはないが、最期の一音まで耳を離せなかった。録音マイナスで○はつけないけど。

アイヴズ:弦楽四重奏曲第2番

コンコード四重奏団(nonesuch)CD

この曲はスコアを見ていくと3楽章それぞれに奇妙な短い副題がついていてそれに沿った内容を緻密に反映していくさまが見て取れ、3楽章で議論につかれた四名が山に登るとご来光とともに「ビッグベン」の鐘が響き渡るといった趣向で、崇高にのぼりつめ白くなるスコアが期待させる。だが。一本一本はたしかにそれを期待させるのだが、四本で弾くと意図通りにならないのである。音が多すぎる。3楽章の鐘の音は本来は弦楽器に向かない。超越的な超高音で輝く陽光を描く・・・演奏にあたったことがない。弦楽器に向かないという意味ではアイヴズはほかにもありそうなところだが、ところでこの曲でもっとも面白いのはパロディだらけの2楽章「議論」だが、書法はともかくバルトーク的にひびくであろうこのエッジのきいた音楽が、パロディに邪魔されて諧謔的でしかない・・・アイヴズは3楽章を聴かせるための前提として卑俗な人間の議論がいかに意味がないかを描くべくあえてそうしているのだがそれだけではもったいない楽章だ・・・ゆえに他の「これはパロディです」という題名のピアノ三重奏曲中間楽章をはじめとする作品共通の「軽さ」で2番全体を支配する「コンコード・ソナタ」的な深刻さを損なっている。演奏は部分部分は美しかったり尖鋭だったり、曲通りのものになってはいるが、3楽章はやはり登り詰めなかった。

アイヴズ:弦楽四重奏曲第1番

○コンコード四重奏団(nonesuch)CD

「信仰復興伝道会」なる副題がつくことがあるが宗教的なものは聴けば讃美歌まみれでわかるので書かない。バーナード・ハーマンの短いコメントがついているがそれを必要としないほど素晴らしい曲である。むかしアイヴズは「熱量で何とかしないと聴けたもんじゃない」作曲家という認識があり、ドラティの祝日交響曲などおすすめしていたのだが、それは旋律楽器をやっていたので旋律中心で聴く癖があっただけで、ノイズもふくめ本質的には「響きの作曲家」であるアイヴズを期待したうえで聴くのには、もっと引いた態度で整わない響きを整え整わないならそれ相応の理由を推測してそれに沿った形で盛り込んでいく、というやり方が向く。録音なら新しいにこしたことはない。それほど細かい部分は細かい(実演では聴こえないほどに)。この作品は旋律音楽で、ほかの作品に転用された要素を含む「わかりやすいコラージュ音楽」だが、ポリリズムやモザイク状の構成感などすでにアイヴズを構成する主要素が出ており、2番はそれをさらに突き詰めて非常にとっつきづらくなったが、1番ではおそらくドヴォルザーク後にアメリカに出現したカルテットで最良の作品といっていいほど美しく、出来が良い。改訂はあるようだが、交響曲なら習作である1番に相当するものの、2番までの個性は少なくとも含まれており、雰囲気では瞑想的な3番まで到達するものをふくめている。譜面は疎だがけっこう大きな曲で、のんべんだらりとやると飽きてしまうが、アイヴズのしのばせたワサビをこの楽団はクリアに浮き彫りにしていく。ここでそんな転調?とか、なんで唐突に楽想が変わる?といったところが、構成上はちゃんと意味がある「かのように」聴かせる。熱量が低いような書き方をしてしまったが、録音がクリアなステレオであり、その点で熱量が低いように聞こえるだけで、最後はしつこく盛り上がる。一度は聴いていい。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

クリュイタンス指揮ORTF(warner/erato他)1951シャンゼリゼ劇場・CD

最初いいじゃんと思って芳醇でカラフルな響きを楽しんでいるも、あれ鈍臭い、と感じる部分が混ざってくる。テンポ運びが悪いのだ。経過句的なところでもたつく感が否めない。オケの弱みをそのまま出してしまったような。。盛り上がりどころは派手でよいが、テンポがインテンポ気味なのに後ろ向き、とか、部分部分にいまいちな印象がのこった。

シベリウス:フィンランディア

マルコ指揮シドニー交響楽団(SLS)1960/12/2live

同日の交響曲より音がこもって悪い。ダイナミックなロシア的フィンランディアなのではあるが、交響曲にくらべると弦楽器が潰れてしまっていたり打楽器やブラスが比べてひどく大きくとらえられ耳が痛い。演奏的にはいいのだ。最後に僅かに拍手の欠片が入り、ライヴであることがわかった。

シベリウス:交響曲第1番

マルコ指揮シドニー交響楽団(SLS)1960/12/2live

セッションもしくは放送用録音かという音質。モノラルであるもののマルコにしてはノイズレスで聴きやすく、迫力がすさまじい。マルコの演奏は莫大になるか偉大になるかの両極端で、著名オケだと前者になりがちで正直遅くて客観的なのに部分的に激しいというロシアの悪い流儀を踏襲したような演奏になることが大曲では多い。この演奏は完全に後者である。序奏から主題提示よりぐいぐい引き込まれる。ダイナミズムに満ち溢れ、ハープまでが強くひびきイマジネーションを刺激し、何より構成が素晴らしくこの曲は十八番だったのではないかとまで思わせる。1楽章はどんな演奏でもよく聞こえるのだがこれはしっかり四楽章まで大きな構築がなされたうえで、激しい起伏が滑らかに織り込まれており数珠つなぎでどんどん聴かせてしまう。いや、こういう演奏があるからマルコはいい。おまけのフィンランディアは弦楽器が打楽器につぶされて聴きにくいのでフィンランディアよりこちらのほうがフィンランディア的感興を得られるだろう。

ヒンデミット:「気高き幻想」組曲

カイルベルト指揮ハンブルグ・フィル(ICON/warner)CD

もっさりと重くて鈍臭い、客観性すら感じさせるカロリーの低さと雑さ、はヒンデミットの低音域の書法のせいなのだ。ヴァイオリンなどがリズムを刻むときの愉悦感たらなく、それはカイルベルトがこのCDでは直後に収録したウェバ変での素晴らしくキレキレな拍節感に通じるものである。この曲では両極端のカイルベルトがあらわれているようにも感じる。ドン臭さ=ドイツ臭さでもある。その重厚なスケールは、同曲をやたらと振ったモントゥーには無い。むしろこの三曲ではコンパクトにヒンデミットの日和振りを楽しむべきだとすら思わせてきたのが、ここはスルーでいいやと思うフレーズのそれぞれにきちんと役割があったことに気付かされる。最後はシンフォニーを聴いたような感想。まあ、オケに雑味、というかカイルベルトの振るオケはわりと雑味があるので、こだわらない人だったのかもしれないが、冒頭の印象はそれで正しかった、ということでもないだろう。

スクリアビン:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(youtube)1988モスクワ音楽院大ホールlive(動画)

ソヴィエト末期でまだ楽団が万全であり、スヴェトラーノフも精力的に振りスケールの大きさよりもドラマティックで力強い音楽を志向していた時期で、この曲が得意でロシアン・ディスク(今は他のレーベルで出てる)がほぼ同時期のライヴをCDにしているがそれはこの曲のベストと言える素晴らしい演奏であっただけに、それに良好な映像が加わっただけで、多少音が貧弱でも脳内補完十分な見ごたえのあるものだ。とにかく来日してチャイコばかりやっていたとき指揮台を揺らした紅い扇風機もここにはないし、和製評論家に批判された「振るのをやめる(オケに任せる)」こともあまりしない(終楽章で謂わばドラクエ的なゲーム音楽と化すのだが、そこで軍国調に厳しい顔をしたあとはスコアを捲りながら振ってない。これは再現部で繰り返されるのでそういう約束なのだろう)、思い入れが凄いのかもしれないし、この時期のメインのレパートリーだったのだろうが、背筋が伸びている、このんだという(もう命尽きる頃だが)バンスタ張りの両腕の大振りは、別に見栄えを良くしているわけではなく、ほんとうにしっかり振りたかったのだろう。オケがこれだけ一体となって、しかも個々が技量を存分に発揮して、満場に響かせる…この曲では中間楽章、いやスクリアビンの全曲中この楽章はワグナー風のゆらぎを持つ旋律の恍惚感をもっと透明にカラフルにメロディアスに歌わせることのできる最良のファンタジーであり、その最高の録音者がスヴェトラーノフその人なのだ…スヴェトラーノフは棒に乱れをきたさず冷静な手付きを崩さない。「恍惚をすべて掌中に収めている」。音楽は物凄いファンタジーなのである。スクリアビンは意図的にユニゾンを多用し、スコアはわりと白いが、こういうふうに演奏できるというのはスクリアビンが凄いのもあろうが、スクリアビンの楽器法が面白いのかもしれないが、いや、スヴェトラーノフだからできた、西側流出がいよいよ酷くなってくる直前のソビエト・アカデミーの演奏だからこそだろう。ロシア式ブラスの大軍に包まれ全弦楽器がとことん歌う、本気の打撃で援軍を送るティンパニ、映像だとこのまとまりある響きの正体がよくわかる。弦楽器は中高年が多いように見える。それでしかできないこともあったのだと懐古する。また、後年スヴェトラーノフが響きに拘った源がこの時期までのソビエトのオケの力量を前提としていたのではないかとも感じる。さびしげなフルートなど、ソリストの技量ももちろんあるのだけれど。カメラアングルでだいたいこの曲の単純性、ティンパニ入れとけばいいとかそういうところが見えやすいのはアタッカで入る四楽章(アーチ構造の後半)。千両役者という皮肉な言い方は音楽家に失礼だと思うがそう言われても仕方ない感情的な振り方は後半の方が顕著になる。弦楽器の強いフレージングのまとまりがソビエトを思い起こさせる。無数のホルン、多いわけではないが吹きっぱなしのボントロ、やたら映るチューバ、音だけ異常に聴こえるハスッパなペット、それらは映像ではあまり捉えられないが、編成の大きさを象徴する。ゲーム音楽と言ったが、これをカッコいいと捉えられる人にはこれは名旋律だろうし、ブラスが目立つのはここで、他は木管ソロの断片を除けばほとんど弦楽器。弦楽器のところはちゃんと振るらしく最後は汗と乱れ髪で仲間を労いブラヴォに包まれあらためて、両腕を拡げて律儀なお辞儀、再度のコンマス握手。律儀なお辞儀。国家的云々はともかく本来評価されたのはこのスヴェトラーノフであり、歯抜けを若手で補ったオケを引き連れ出稼ぎに来たスヴェトラーノフではないのだろう。まあ、他国で呼ばれるような巨匠とはそういうものだ。しかしこの曲でここまでまとまったオケによる映像は無いだろう。今後もこのレベルのオケで収録されることはないだろう。。ソースがわからないが恐らく放送物なのでネット配信をレーベル名としておく。音質をマイナスして○(画質はこのての配信物としては最良)。
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